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鎌倉彫はそもそも700〜800年ほど前、仏師によってつくられた仏具に端を発します。
鎌倉時代、建長寺・円覚寺をはじめとして鎌倉には次々と大きな禅宗寺院が建てられ、いわゆる「唐様」とよばれる宋風文化がこの地に流入してきました。
現存する円覚寺の舎利殿の建築や、建長寺・円覚寺の獅子牡丹や天竺牡丹唐草などが彫られた須弥壇や前机は、宋風の特色をよく伝えており、鎌倉彫の祖型といわれるものです。 |
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| 建長寺 獅子牡丹文須弥壇 |
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さらに時代をさかのぼり、鎌倉彫の源流をたずねてみると、京都の法金剛院、宇治の平等院、平泉の中尊寺などの諸仏の天蓋、光背、台座に施されている宝相華文などの装飾彫刻があります。
これら平安時代末期の薄肉彫刻の流れは鎌倉の寺院の仏像の衣文や蓮弁などに見られ、この時代の仏師の活躍を物語っています。 |
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| 円覚寺 天笠牡丹文前机 |
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他にも、鎌倉時代に中国から伝来したものとして堆朱(ついしゅ)があります。
京都各寺につたわる大香盒の類は、堆朱・堆黒の彫刻技術やデザインに学び、素地を木とし、文様を彫りこみ、その後に漆を塗り重ねたもので、堆朱とはまた違った柔らかで温かみのある鎌倉彫の優品として今に伝えられております。
このように宋風の仏教芸術と、仏師のもつ伝統の木彫技術、さらに中国彫漆の漆芸美とが渾然一体となり、長い発酵期間を経て、創成されたのが鎌倉彫なのです。 |
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| 南禅寺 牡丹文大香盒 |
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室町から桃山にかけては、やはり仏具が中心となりますが、鎌倉彫は彫漆を参考とする様式からぬけ出し、和様化の時代を迎えます。
鎌倉国宝館所蔵の獅子牡丹文猿面硯台などは、構図の大胆さや写実的で動的な彫刻表現などが見られ、鎌倉仏師の影響を大きく受けたと思われる「日本様式としての鎌倉彫」がここに確立されたのです。
江戸時代には茶道具の需要が増え、図柄も風景・人物など雅味のある作品が増えてきました。
江戸時代の美術品の手引書である「万宝全書」には「鎌倉彫」という名称が記載されており、茶道具においてかなり普及していたことが伺われます。
ちなみに、室町時代には「鎌倉物」との表現が「実隆公記」に残されています。
このように、鎌倉彫の発展には、日本文化の真髄ともいえる、禅宗と茶道が大きく関わっていたといえるのです。 |
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| 獅子牡丹文猿面硯台 |
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明治になり、排仏毀釈運動により仏師も減り、わずかに2軒(後藤家と三橋家)となりました。
しかし、後藤家と三橋家は、仏像から鎌倉彫に活路を見いだします。
両家はそれぞれ、内国勧業博覧会や数々の外国の博覧会への出品・受賞などにより力を得て、仏師の彫刻技術と工芸品としての実用性を備えた、新たな彫刻工芸品としての鎌倉彫をこの時期に確立しました。
1979年通産省の伝統的工芸品に指定され、現在鎌倉には約200名の人々が鎌倉彫制作に携わっています。またアマチュアによる趣味の鎌倉彫教室も盛んとなって、鎌倉彫は実用性と装飾性を合わせ持つ工芸品として多くの方々に愛されているのです。 |
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